ランプとレトロ雑貨展(ギャラリームース編)


3月6日から始まった「ランプとレトロ雑貨展」。関市の喫茶ギャラリームースで第1弾は幕開けしました。
趣味で集めたランプ達。どれも仕入れた時のエピソードがあり、とても楽しい。たまたまこのお店で知り合いになった古美術の鑑定師さんに祖母の形見や実家からもらってきた抹茶茶碗や花器を見てもらった。
なんでも鑑定団のごとく、お宝がないかワクワクして見てもらったのだ。80過ぎの実の父が「これは有名な人のだよ」って言っていた花瓶…実家に飾ってあった純金の小判まで遊ぶ金欲しさに売ってしまう父。この花器が国宝級なら、小判同様に売り捌いてしまうことは間違いない。私が母の親戚からもらって、密かにあつめていた、小銭や天保時代の小判も思い出して探した頃には実家から消えていた。恐らくこちらも、小判と一緒に連れて行かれだのだろう。
こんな父の言うことだから、あまり信じてはいなかったが、実家の軒先に埃まみれの花器が不憫で私は「これちょうだい」ともらって帰ってきた。
私は収集癖があり、なんでも集めたがる子どもでした。駄菓子屋で20円払うと珍しい記念切手がかなり低い可能性でひけるクジを毎回ひいて、やっとの事で引き当てた60円のクジャクの切手。嬉しくて小学校に持っていったら、知らぬ間に落としていて、同じく切手収集のまぎらくんという男の子にひろわれ、持っていかれたことを40年以上経った今も鮮明に覚えている。全ては時効です。
私はモノに対する執着が人一倍強い。そしてヘビのように執念深い。ま、こんなエピソードを思い出しながら、鑑定してもらいました。
父の言った花器は加藤幸兵衛さんと言う方の作だった。しかし、残念ながら、箱もないから当然、値がつかなかったのだろう。
そして抹茶茶碗は、全てお稽古用でした。これも納得。価値のあるものを父がほっておくわけがない。笑
でも、私はこの抹茶茶碗が愛おしくてならない。祖母は茶人でしたが本当に気取らず、見栄をはることもなく、好きなことを楽しむ人でした。日曜日には、静かにお茶を楽しむ。美味しいお菓子が入った時も必ず抹茶をたててくれました。道具に触れながら、祖母がどういう気持ちでこの道具と出会い、使っていたのかしら?って、思いを馳せることも楽しい。
抹茶茶碗が入った段ボールに20代の頃の写真も入っていた。どちらも澄ました顔をしている。あの頃は、何もかもやれば出来ると思っていたし、誰にも負けないわよ、って言うお高くとまった嫌なヤツでした。笑
もうね、顔が違うもん。人相、って出るな。
澄ました生活からどういう経緯があって今に至っているかは、また今度ゆっくり話すとして、このすまし顔生活からは脱して見えてきたものが楽しくて仕方がない。
お茶も純粋に好きではあったものの、それらを楽しむ集団は、今の仲間とは全く違う。オホホホホ〜の生活。いわゆる体裁ね。これがクセモノだったわけです。
今ね、この体裁トモコから、仮面や鎧を脱ぎ捨てて新生、「素のトモコ」が生まれた訳です。
新生トモコを引き出したのがami友の代表の松川祐夏です。この人といると仮面を剥がされます。笑 この方と私は性格が正反対なんですが誰に対しても分け隔てなく接する。
金持ちだろうが地位や名誉のある人であっても特別扱いしない。お金で動く人間ではない。金がなくても、この人と思えばとことん動く。だからね、ついていくの大変なんです。笑
何がいいたいかと言うと、高価な抹茶茶碗であろうがなかろうがそのものが好き、にブレがない。人もしかり…
だから、ami友のレトロ雑貨はヘンテコです。
高価であろうがなかろうが、飾ってしまう。
リサイクルショップで見つけたものだって、私や松川のストライクゾーンに入ったモノは、「好きなんだもーん」って置いてあります。気取らないスタイルで突き進んでおります。
どこに行っても言われます。「あんたら、おもろいね〜」って。
折り紙の著名な先生にも「作ってよ〜」って言ってしまいます。ごめんなさいですが、これが私達。
峠の幌馬車のオーナーのお力添えもあり、毎日マニアックなお客様がご来店くださいます。
古ーいスキー板や大きな鹿のツノがお嫁に行きました。好きな人には好きなんやね。これも楽しいわ。
遠いところから来てくださいます。ありがたやー、ありがたやー。





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